2012年2月6日月曜日

人の本性は善・・・・・・人の本性は悪・・・・・・・???


中国の学者の思想に「性善説」と「性悪節」がある。

僕はずっと、こんな風に解釈をしていた

「性善説」
人の本性は善であり、人を信じるべきだという考え方

「性悪説」
人の本性は悪であり、人は疑ってかかるべきであるという考え方。

そういう解釈には、少し問題があると最近気づかされたんですよね。

あるいただいた本を読んでて、僕が他の人に話していたことに少し間違いがあるのではないかと・・・・・
辞書や解説書でもう一度調べてみたんですよね。





そしたら
「性善説(せいぜん せつ)」
人間は善を行うべき道徳的な本性を先天的に具有しており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。 正統的儒学の人間観・・・・・・・猛子の首唱
とある。
「性悪節(せいあく せつ)」
人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。 猛子の性善説に対し荀子が首唱。
とある

さきに僕が理解していた「性善説」「性悪説」とはちょっと異なり
「人は生まれつきは善、成長するにつれて悪行を学ぶ」というのが性善説で、「人は生まれつき悪だが、成長するにつれて善行を学ぶ」
ということのようである。

僕はあるビジネス書で、この性悪説を唱えた荀子の弟子である韓非子の考え方を書いた本を、若い頃にある会社の偉い人から貰って読んでいた・・・・・だから・・・その本の影響で性悪説が少し強い傾向や行動があったかもしりない。
最近はねずいぶん考え方が変化しているんです。
ちょうど去年の末にもね、やさしい論語の本をいただいた、孔子の思想でね、これはきっと性善説にちかいと思うが。

人はね、どちらの側面も持っていてね・・・・・・・その心をいかにコントロールできるかが、これからの生き方の鍵ではないかとす思っています。